はてなダイアリーを仕事中につけてみる
理性的にかつ自分自身のやってきたことや持ってる知識を信じ続ける強さこそ、仕事に必要なことだと思う。
いわゆるプロのスポーツ選手や、アイドル、アーティストと同じだ。
自分のやってきたことや、自分の行ってきた努力を信じ続けること。
それを継続していくこと。
素直に自分ができることと、できないことを見つめること。
探し続けること。駄目なときはだめだったと、認めること。
立ち上がること。
これを継続していくことが、自分を明日へとつなげていくのだと思う。
それから、感謝すること。
恐れや躊躇いを、まずは捨て、目の前のことに集中すること。
難しいようだけど、自分のことを考えるのをやめたときに、人は大きく成長できるような気がする。
■
Linuxにトライ。
来年度から、電子回路制御 / 電気制御 / Linux に取り組んでいく。
(語学の勉強も平行で進めていく予定!!)
まずは基礎から。
物事を学ぶには、まず対象の歴史を知ることが重要だろう。
具体的には以下。
【何故生まれたのか】
【何に用いられているのか】
【どこで用いられているのか】
【誰が使っているのか】
【何を生み出してきたのか】
プログラミングワンダーランドへ,いらっしゃい (Standard Technology Books)
- 作者: 米山学
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2004/03/19
- メディア: 単行本
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プログラミングワンダーランドへ,いらっしゃい (Standard Technology Books)
単行本 – 2004/3/19 米山 学 (著)
この書籍では、プログラミングの歴史と現在の概要を知ることができた(といっても古書なので、今から十年前の情報だが。
やや引っかかったキーワードや一節などを並べてみる。
●「プログラミング言語における“変数”とは識別子のことであり、イメージは箱である」
→ そうなのだろうか?箱というよりも、アクセスキー:つまり鍵のことなのでは?
変数にどの記号を使うのかによって、その記号が保有するアクセスキーの数が決まる(英字なら26種類で頭打ち)
変数に用いることのできる概念はたくさんあって、それが平面図上の図形であれば、それはバーコードと表現されるし
タイピングという意味であれば、それは英数字ともなる。
要するに、世の中にはさまざまな図形や計上が存在するから、識別子そのものは○だろうが▽だろうが、英字だろうが数字だろうがなんでもいい。
それらを、バイナリコード、つまり二進数たる機械語へと変換する上で、既に体系化されかつ安易に理解できる、英字がもっとも楽だというだけのことだ。
なぜならば英語とは、たった26文字だけで世界を表現できる非常に単純な単語であるからだ!
●「プログラミング言語におけるコンパイルとは、高級言語たる人間の記述を、機械語、つまりバイナリに変換する作業のこと」
→ 付け加える情報として、そのバイナリコード、あるいはファイルを物理表現に用いるためのものとして
“制御回路”(電子/電気)が存在する。
これを付け加えなければ、プログラミングの偉大さがちょっと薄れる気がするのは気のせいかな??
プログラミングそのものは人間の脳や活動を補助するために用いられてきた側面があるが
それ以上に、人間の機能、特に生活や生産に用いられてこそ、意義があると思う。
それはオートメーションのことだと自分は定義している。
読了後、再レビューの予定。
データ長
タッチパネルソフトを触っているときに、データ長とか1ワード2ワードって単語が出てくる。
データ長ってなんだ?と思っていろいろぐぐってみた。
PLCにおけるデータ長とは以下
http://www17.ocn.ne.jp/~k_fa/three.html
bitっていうものの考え方がちょっと変わった。
bitってのは表現方式のことを言うんだな。
16bit とか 32とか64とかいうのは、要するにバイナリコードの表現において必要となる階層の数がたくさんあるぜって意味なんだね。
なるほど、勉強になった。
1ワードは16bitが基本。
2ワードで32bit。
オーケーりょうかいした。
バイナリ:二進数
デシマル:十進数
これに対し
ヘキサデシマル:十六進数
という考え方があって、
十進数:人間の言語 を 十六進数:機械の言語 に置き換えるために バイナリ:二進数(信号) を使うっつーことなんだろうさ。「
それがつまり、BCD(Binary Code Decimal)…2進化10進数 なのだろう。
アナログの世界には数字は10までしか存在しないのだが
デジタルの世界には数字が16存在する。
この二つの世界をつなぐものは、0と1の2進数というわけだ。
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いずれプロフィールにも更新していく予定だが、自分はカトリック出身で、日本ではかなり珍しいタイプだ。
しかもペンテコステ派と呼ばれる種類のものらしいのだが、これに対する調査はいずれ人生において、ゆっくりと取り組んで生きたい分野だ。
マズローの欲求階層説は、人間の欲求が六段階に分かれているとするもので
これらの論説は他のライフハッカーや起業家、ITエンジニアなどが展開する人生に対する向き合い方とわりと合致する。
意識が高い人たちや能力の高い人々が志すものと、人間自身について研究してきた論説が一致するのは必然なのか。
いずれにせよ、自分の人生と真摯に向き合うものが、おのずとその関心を自分ではなく自分以外の
たとえば世界とか技術とかお金とかに向けていくのはある意味で必然なのかもね。
そしてその先にあらゆる人と繋がる手段が転がっているのは、やはり同様に必然なのかなと思う。
お金というツールをどう見るかもそこに関係している。
それをひとつの技術的手段と捕らえるのか、ある種の汚いものや禁忌と捉えるのか、それとも至上とするのか。
後者二つは同意義だと思う。
お金はお金であって、ほかのなにものでもない。
付すべきものに付すべき意味以上のものを付す必要はない。