いずれプロフィールにも更新していく予定だが、自分はカトリック出身で、日本ではかなり珍しいタイプだ。
しかもペンテコステ派と呼ばれる種類のものらしいのだが、これに対する調査はいずれ人生において、ゆっくりと取り組んで生きたい分野だ。


マズローの欲求階層説は、人間の欲求が六段階に分かれているとするもので
これらの論説は他のライフハッカーや起業家、ITエンジニアなどが展開する人生に対する向き合い方とわりと合致する。

意識が高い人たちや能力の高い人々が志すものと、人間自身について研究してきた論説が一致するのは必然なのか。



いずれにせよ、自分の人生と真摯に向き合うものが、おのずとその関心を自分ではなく自分以外の
たとえば世界とか技術とかお金とかに向けていくのはある意味で必然なのかもね。

そしてその先にあらゆる人と繋がる手段が転がっているのは、やはり同様に必然なのかなと思う。

お金というツールをどう見るかもそこに関係している。
それをひとつの技術的手段と捕らえるのか、ある種の汚いものや禁忌と捉えるのか、それとも至上とするのか。
後者二つは同意義だと思う。

お金はお金であって、ほかのなにものでもない。
付すべきものに付すべき意味以上のものを付す必要はない。