攻殻機動隊 虚夢回路 読了


攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 虚夢回路 (徳間デュアル文庫)

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 虚夢回路 (徳間デュアル文庫)

ブックオフで¥350で販売されていたものを購入した。

時は2030年。
高度に情報が発達し、人間の脳とコンピューターが融合した『電脳』と言われる技術が浸透した世界における『電脳犯罪』。
これに対応する公安9課という警察組織を軸に話が進む。

【公安9課とは】:

この世界において、人間の体は技術によって再現可能である。
人間は自分自身の身体能力や脳機能を、『電脳化』『擬体化』することで飛躍的に向上、あるいは補完している。
主人公は草薙素子(通称:少佐)という公安9課に所属する女性で、幼少の頃脳殻を除いたすべての身体を擬体化している。
(この世界においても、かなりイレギュラーな存在のようである)
そのほか、体重200kgもの体格と擬体を持つバトー
公安9課にして唯一ほぼ生身の体を持つ元刑事トグサ

基本的にはこの三人が中心となって物語が進んでいく。


攻殻機動隊そのものについてはwiki-pediaを見たほうが早いので、そちらを参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%AE%899%E8%AA%B2:攻殻機動隊について



攻殻機動隊をはじめて知ったのはいつだったか忘れたのだが、なるほどな、と思わされたのがトグサが公安9課にいる理由。
もともと公安9課は軍人あがりが多いが、トグサは刑事出身。
実際、攻殻機動隊の作品の随所で、トグサが他のメンバーよりも戦闘能力的に劣っている様子が示されている。
何故9課に招かれたのかについて、彼自身が攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXの作中で草薙素子に問うている。
その問いに対する彼女の答えが秀逸だった。

「戦闘単位としてどんなに優秀でも、同じ規格品で構成されたシステムは、どこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死」(=画一化された集団は何かのアクシデントで全滅する可能性があるため、多様化を目的としてあえてほぼ生身であるトグサを選んだ)


テクノロジーの発達は人間の能力を上昇させるけど、それは規格化を促進させることを意味していて、大きな視点から見れば人間の持つ可能性を限定させることなのかもしれない。
ひとつの工場のラインで生産された製品は、みな同じ欠陥を抱える。
その製品で構成されたシステムはみな同一の欠陥を抱える。そしてそれは、人間も同じである。

同じ方向に拡張された機能を持つ個体同士を集めれば、ある目的を達成するためには効率的な集団になり得るが、それ以外にはまったく何にも役に立たないということになる。






攻殻機動隊において非常に重要な事件に「笑い男事件」というものがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E3%81%84%E7%94%B7_(%E6%94%BB%E6%AE%BB%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A):笑い男事件について


電脳につながった人間の視覚情報はそのまま電脳空間に履歴として残るわけだが、この笑い男はそのデータをリアルタイムで笑い男マークに書き換えながら逃走した。衆人の大半の目には彼は笑い男ロゴマークでモザイクがかかっているわけだ。
彼の顔を直接見ることができたのは、結局電脳化を施されていない浮浪者二人だけで、証言が二人だけでは記憶や証拠も曖昧であり、結局笑い男は捕まらなかった。

まさに『電脳』というひとつの規格が生み出した欠陥と言える。







今回の攻殻機動隊 虚夢回路でも同様のテーマが扱われている。
電脳化が進んだ文明においては、人間は自分の夢さえも電脳によって操作できる。
見たい夢を見ることが出来る「夢屋」という商売があるのだ。
他人の記憶や他人の経験をデータとして保存しておき、それを他人の脳にインストールすることで自分の経験であるかのようにその記憶を追体験できる。
言うなればゲームや映画のようなものだが、そうしたゲームや映画が起こしうる現象について『電脳』というキーワードを用いながら巧みに人間の心理構造に及ぼす影響を描いている。

これは一種の可能性の示唆だとボクは思う。


人間の行動や人格は過去の経験の蓄積によって形成される。
どのような環境で生育し、どのような人生を歩んできたかがかなりの影響を及ぼしている。
人間は望むとも望まざるとも過去に縛られている存在であり、記憶や感情は形成されるものであって生じるものではない。
だからこそ、記憶や経験といったものが固有のものではなくなったこの世界においては、人間の意志や意思、自我というものが何であるかが分からなくなりつつある。

自分というものが何であるか、これが分からなくなり、すべてを自分ではない何かのせいであるかのように思えてならない。
特に自我の形成に失敗し、あがき続ける思春期を乗り越えられない人間はそのように考えてしまう可能性がある。



攻殻機動隊は常に作品の最後でかならずひとつのメッセージを入れている。
仮にそのような状況であったとしても、自分が変わること、自分自身を変革していくこと。
これが、真に人間にとって必要なことであり、それがこの世の中で生きていく術なのだ、と。

もし人間の意志や意思が薄弱なもので、あるかないかよく分からないものであったとしても、それを受け入れること。
そして、その上で前へ進むことが求められているのだな、と思う。